花嫁行列のない神前結婚式が評判になったのも、あるいは交通事情がからんでいたかもしれない。人力車や路面電車などが行き交う路上で、人がぞろぞろ練り歩く行列を行うことは、邪魔だし危険だ。かわって登場した葬式の装置が二つあった。祭壇と霊柩車である。戦後の葬儀のスタンダードとなる白木の祭壇を考案したのは、大阪の葬儀社「駕友」を経営する鈴木勇太郎という人物という。一八九九(明治三二)年、鈴木は、まず青竹製の祭壇を、続いて白木の祭壇を発表する。鈴木は非常なアイデアマンだったらしく、霊柩車を考案したのもこの人で、こちらは一九一七(大正六)年のこと(高橋繁行『葬祭の日本史』)。駕友は、江戸末期の大名行列のプロデュース業から転じたという変わり種の葬儀社だ。アイデアマンの手にかかれば、棺を運んだ輿の機能が二分し、一方では葬列に持って歩いた葬具を並べる祭壇に形をかえ、一方では宮型霊柩車に発展する。まさにベンチャービジネスである。
山形県の養蚕地帯では、毎年正月十四、十五の小正月行事の一環として丸い平べったい団子を何枚かつくり、ミズキの枝に二つ折りにして掛ける。これをキンチャク餅とよんで、お金がたくさんたまるようにという願いをこめている。小判形のものを下げるところもある。七福神にちなんだものや、宝船や小判などを紙でつくって下げたりする。またフナセンベイといい、いろいろの色のセンベイを団子のかわりにつけて飾りとして売るものもあった。ミズキの根方には稲の芯(ミゴ)に餅をつけて十二本束ねて吊るして、これをマユダマとよんでいる。稲の穂をかたどったものだといっているが、団子はマユの豊作を祈願し、マユダマは稲の豊作を祈るもので、他県とくに関東地方にかけては団子をマユ形につくるので、団子の方をマユダマとよぶところもみられる。このマユダマには小手縄、三角まぶしなども吊るすことがあった。団子をさした小枝を神棚、仏壇、床の間、流し、庖場、蔵、小屋、便所にも飾った。その華麗さはたとえようもない。それは、まさにミロクの国へ行ったようだということから、これをミロクの団子などと称する人もいた。そしてユートピアであるミロクの世では、口を開けて寝ころんでいると団子が落ちてきて口に入るので、人々はすっかり横着になって働こうとしなくなったという。それを見た神さまは、これではいけないとやめさせてしまった。この故事から、団子さしを一年に一度だけするようになったという伝承もある。
申し訳ないという態度を忘れずに朝起きたら腹痛がひどく熱もある……。会社に行けない事態が発生したとき、誰に、どうやって伝えるのが正しいのだろうか。「風邪で休むって伝えて」と、後輩やアルバイトの人、心安い先輩にことづけている人がいるが、これは間違い。基本は自分が所属する部の統轄者に、直接自分の声で現状を伝えること。上司が来客中や不在なら仕方ないが、これは人事の承認決裁権に関わることでもある。自分が席についているのに、第三者が電話を切ったあとで、「○○さんは風邪で休むそうです」と聞かされる上司は気分が悪いものだ。また、容体は声の調子からも伝わる。「熱があって、腹痛がひどく」と電話したとしても、電話に出た人が「風邪みたいです」と上司に伝えて体調の悪さが伝わらなかったという話は実際にあったことだ。「その様子なら明日も無理だろう」という上司にしかできない判断もある。電話口の人に「伝えておくよ」と言われても、上司が席にいるなら直接話すのがマナー。言い方は「申し訳ございません。本日は熱がひどく、病院に行きたいのですがよろしいでしょうか?」と了解を得る態度を示すようにする。有休だからいいだろうというのではなく「健康管理できずに申し訳ありません」という謙虚な気持ちで。また、それ以前の問題として「自分で」「電話」すること。最近では、上司と直接話をしたくないのか、母親に電話してもらったり、メールで休みの連絡を入れたりする人もいるというが、これらは問題外。